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「ソーシャル死ね」というユーザーの声にクリエイター、「俺だって作りたくねーよ!」と反論


「ゲームを返せ。ゲームから出てけ。」

「ソーシャル死ね」というユーザーの声にクリエイター、「俺だって作りたくねーよ!」と反論。今回はこの話題をネットユーザーの意見を交えてご紹介します。
ソーシャル死ね。ソーシャルゲーム死ね。ゲームを返せ。ゲームから出てけ。

あったまきた、ほんとあったまきた。
こんなに悲しい思いしたの初めてだよ。
こんなに惨めな気分はもうこりごりだよ。

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やっとブログに書けるだけのゲーム数をプレイ出来たので、書くけれど、あったまきたよ。ほんとあったまきた。こんな不条理はないよ。いいか、DOTA2はゲームじゃない。dota allstarsはゲームだ。そして、DOTA2はdota allstarsの完全移植だって触れ込みだった。だから、僕はその宣伝を聞いて、DOTA2もdota allstarsと同じように、ゲームなんだろう、って思ってた。

でも、ゲームじゃなかった。
ビデオゲームなんかじゃなかった。

こんな理不尽が他にあるか?ビデオゲームだと思ってたら、それはソーシャルゲームだった。これは、詐欺だ。完全な詐欺だ。ビデオゲームは冒涜された。こんな事が許されていいのか?許せるわけがないだろ。僕等はビデオゲームにだけに頼って生きてきた。ずっとそうやって生き延びてきた。そのビデオゲームが消える。ビデオゲームの皮を被ったソーシャルゲームが「俺はビデオゲームです」って言いだしたんだ。こんな事態を許せるか。許せるわけないだろう。ふざけんじゃねえよ。ふざけんなよ。ビデオゲームを返せよ。僕等の人生の全てを返せよ。ソーシャルはビデオゲームから出ていけよ。

はじめに、ビデオゲームというものが生まれた。

マサチューセッツ工科大学の巨大計算機の中で、ビデオゲームというものが生まれた。一番はじめのビデオゲームは、テニスだった。テニスの模倣だった。ブロック崩しの自機バーが、右端と左端にあって、2人のMITの大学院生が、互いにボールを打ち返し合う。それがはじめのビデオゲームだった。

そうだよ。
確かに、そうだよ。

その時点では、ビデオゲームはソーシャルゲームだった。1人ではプレイ出来なかった。1人の人間が、他の人間に笑顔で語りかけ「遊ぼうぜ」と言って遊ぶものだった。2人のプレイヤーは人と人との関係で結ばれていたし、遊び終わった後も結ばれ続けていた。それが強い繋がりであったか、弱い繋がりであったかは知らない。とにかく、赤の他人ではなかった。2人は繋がっていた。お互いはソーシャルな関係だった。

それは否定しない。それは認めるよ。ビデオゲームは、ソーシャルゲームとして生まれた。その事については否定しない。全面的に受け入れる。ようするに、僕が憎むソーシャルゲームこそが先に有り、僕等が愛したビデオゲームは後発の存在だった、って事だ。だからと言って、僕等に死ねというのか?そんな昔話を根拠に、僕等からビデオゲームを奪おうというのか?

連中はエリートだった。

マサチューセッツ工科大学の、優秀な学生だった。
誰もがうらやむ存在で、成功を約束されていた。
若さと強さを併せ持つ、素晴らしい人達だ。

「ソーシャル上等」

彼らは、そういう存在だった。
挨拶も出来るし、会話も出来る。
恥ずかしくない自分を持ってた。

だから、ビデオゲームはソーシャルゲームとして生まれたんだ。

素晴らしい物を作る。
それを褒めあう。
それで遊ぶ。
それについて語り合う。
それは彼らにとっての、コミニケーションツールだった。

けれども、僕等が頼り縋って生きてきたビデオゲームはそれじゃない。

僕等が頼りにした物は、ソーシャルゲームなどではなかった。
混じりっけ無し本物の、正真正銘のビデオゲームだった。

ビデオゲームについて誰かと語り合う事なんか、無かった。
ビデオゲームを用いて、他人とコミニケーションを取る事なんて無かった。
そんな風に、邪なことに、ビデオゲームを利用するだなんて、想像も付かなかった。

僕等にとってビデオゲームは何よりも神聖なものだった。それは、ビデオゲームという名の聖域だった。人間という邪悪な生き物に出会うことなく、人生を楽しめる唯一の場所だった。この憎たらしい人生の、呪われた醜い毎日の中で、生きている事を感謝する為の、唯一無比のツールだった。ビデオゲームを遊んでいる間だけは、自分が人間である事を忘れられた。

dota allstarsはそういう存在だった。その極北だった。
dota allstarsが齎したのは完全な世界であり、完璧な救済だった。
dota allstarsがビデオゲームであったからこそ、僕等は生き続ける事が出来た。

それは、本物のビデオゲームだった。
正真正銘のビデオゲームだった。

ビデオゲームとインターネットの完全な出会いは「人間の抹消」とでも呼ぶべき事態を引き起こした。そしてそれこそが、真のゲーマーである僕達が、心の底から望み続けてきたものだった。人間という血と肉と骨で出来た醜い無様な生き物は、ビデオゲームの世界において、手強い敵キャラに生まれ変わった。完全無欠の美しい、電子信号へと変身した。歯石が溶け込んだ臭い息も、左胸を刺す悲しみの針も、服の袖で啜る鼻水も、他の誰かへの憎しみも、我が身を削る煩悩も、全て大鍋で茹でられて、ただの電気信号に生まれ変わり、キーボードとマウスのコードを伝い、僕等は遂にビデオゲームになった。つむじから爪先まで、生きとし生ける細胞の全てが、ビデオゲームへと変換された。ただの敵キャラに変換された。

その世界で僕達は、人間ではなかった。
強くて手強い敵キャラでしかなかった。

そうなんだ。
僕等は遂に手に入れたのだ。

望まれずに生まれた。
災難として生まれた。

それにも関わらず。
存外な結果を要求された。
弛まぬ努力を要求された。

馬車馬のように働き。
結果を出し。期待に応え。
そして従順である事を求められた。

関わりたくないソーシャルの渦の中央で。
体裁を保つ為の生き物として。
話したくもない人達と。
生きたくもない人生を。
背負いたくない重荷を。
無理矢理に押しつけられた。

人間であるということは。
全ての苦しみの元だった。

人との関係というものは。
全ての苦しみの元だった。

そうなんだ。
僕等は遂に手に入れたんだ。

その世界では、人ではなかった。
強くて手強い敵でしかなかった。

俺達の苦しみは全て無視され。俺達の心は全て排除され。ただのbotとして生まれ変わった。完全無欠の無垢な存在として、邪悪さとも善良さとも関わりのない存在として、生身の体を捨て去って、電気信号そのものとして、生き続ける事が出来た。それがビデオゲームだった。それこそが、ビデオゲームとインターネットの融合だった。

その世界では、ソーシャルは不用だった。
誰との関係も必要なかった。

スタートボタンをクリックすれば、生身の体は失われ、電子信号に変換された。ただそれだけで、僕等は全てを得る事が出来た。誰とも話さず。誰にも見られず。誰とも会わず。誰も見ず。そこは人の居ない世界だった。人間関係の無い世界だった。憎しみもない、差別もない、嫉妬もない、嘲笑もない、誰もが平等で、誰もが公平な、夢にまで見た桃源郷だった。即ち完全な世界だった。マサチューセッツ工科大学の院生であろうとなかろうと、立派で善良な人間であろうとなかろうと、仕事をしていようとしていまいと、醜かろうと、美しかろうと、全てが平等だった。誰もが皆、ただの敵キャラでしかなかった。

人との関係が生み続けてきた、全ての苦しみ、全ての悲しみ、全ての痛み。それらは完全に消え去った。それどころか、苦しみや悲しみまでもが電子信号に変換され、敵キャラとしての強さや弱さに変換された。僕等は痛みを認める事が可能になった。悲しみを受け入れる事が可能になった。自らという一匹の血と肉を形作る、全ての過去を愛する事が出来るようになった。人生を理解し、楽しむことが出来るようになった。

もちろんのこと、愛など理解出来ない。
ビデオゲームの世界では、人は人で居られなかった。
ただの手強い敵キャラは、愛の存在など知るよしもなかった。

もちろんのこと、人生など楽しくない。
ビデオゲームの世界では、人は人では居られなかった。
ただの手強い敵キャラは、人生の意味など知るよしもなかった。

それこそが、僕等の望みだった。それこそが、僕等の願いだった。全ての人間が消え去った世界。全ての人間関係が消え去った世界。人間の存在しない、完璧な世界。美しい世界。痛みの無い世界。苦しみの無い世界。それだけが望みだった。それだけが願いだった。人が生き物である限り、人間関係から離れる事は出来ない。望まずに強いられた遺伝子から逃れる事は出来ない。人間関係というものは、物心もつく前に、車の鍵を投げつけられて、築港から飛び込んで来いと言われるような類のものだった。そんなものは必要無かった。人間など、不用だった。他人であろうと、自分であろうと、人間などと言う物は不用な存在だった。

ビデオゲーム。

かつてのそれは何も変えなかった。1つのチェンジも齎さなかった。人間は人間のままであり続けた。ビデオゲームをプレイするという行為は、僕等の惨めな気分を、ただ増幅するだけだった。5分、10分、20分。ビデオゲームをプレイすると、時間だけが過ぎて行った。その間中ずっと、僕等は人間だった。人間のままだった。

ビデオゲームは僕等を惨めにするだけだった。

1人の惨めな人間を、ビデオゲームをプレイする、1人の惨めな人間に変えただけだった。事態は少しだけ悪くなった。ビデオゲームを100時間プレイすれば、100時間分の惨めさが、自らの中に生まれた。100時間の間中ずっと、僕等は人間であり続けた。ビデオゲームをプレイする事で、他の何から目を逸らそうとする人間であり続けた。他の何かを忘れようとする人間であり続けた。

この広い世界には、人間である事を受け入れられる人が存在する。

その幸せを最大限に享受する事の出来る人達がいる。人として生まれた事を、喜びであると捉えられる人達がいる。けれども、僕等はそうではなかった。僕等のような、真のゲーマー達にっとて、人間であるという事は、ただ、ただ、苦しみだった。悲しみだった。痛みだった。全ての絶望の元だった。ビデオゲームはその現実を少しだけ、少しだけ、モルヒネのように忘れさせてくれた。ビデオゲームは痛覚を麻痺させる薬であり、ビデオゲームは僕等を守る盾であった。けれども、ビデオゲームは小さかった。弱かった。

そう、かつて、ビデオゲームは弱かったのだ。

一時ばかり現実世界をせき止めはこそしたが、その盾は時間と共にやせ細り、やがては砕け散って死んだ。ビデオゲームが堰き止めた現実世界の長さのぶんだけ、惨めさは巨大なうねりとなって僕等の身上に押し寄せた。僕等は過去へと遡り、ビデオゲームをプレイし続けた長さと同じだけの惨めさを、苦しみを、悲しみを、痛みを、利子を付けてまで受け取った。それが一時間であれば、1時間の分だけ。それが1年であれば、1年の分だけ。それが10年であれば、10年の分だけ。

けれども、dota allstarsは違った。

その世界では、僕等は人間ではなかった。ほんの僅かな個性を持った、ありふれた敵キャラクターでしかなかた。それは、ビデオゲームそのものだった。僕等こそが、ビデオゲームそのものだった。AIよりも少しだけ鈍くさく、少しだけ狡猾で、少しだけ軽率な、ビデオゲームそのものだった。ビデオゲームとインターネットの融合は、血と肉を持つ1人のゲーマーを、ただの電子信号へと変換した。僕は、ゲームだった。僕等は、ただのゲームだった。金無垢のゲームだった。痛みもない。苦しみもない。悲しみもない。正真正銘のゲームだった。それがdota allstarsだった。それが、dota allstarsだったんだ。

けれども、dota2は違った。

今にして思えば、浅はかだった。
今にして思えば、無邪気すぎたんだ。
dota allstarsがそうだったんだから、
dota2もそうなんだろうと思い込んでいた。

けれども、dota2は違った。

そこには、苦しみがあった。
ただ、悲しみだけがあった。
僕は涙を流しながら、惨めな気分で敵を殺した。
痛みを浴びせられながら、惨めな気分で殺された。

はじめは、dota2も同じだと思っていた。
これはdota allstarsなんだ、って思っていた。

dota2はdota allstarsの完全移植。だから同じだと思っていた。
けれども少し勝ち越して、貯金が2桁を超えた頃、光景が一変した。

気がつくと、ソーシャルゲームの真っ只中に投げ込まれていた。

ただの電子信号であるはずの、僕等の相手に選ばれたのは、5人組のフレンドだった。ゲームもコミニケーションも上手い奴らが、ツイッターやフェイスブック、あるいはスカイプやircといったような、様々なツールを利用して、徒党を組んで立ち塞がっていた。彼らはインターネットを狡猾に使いこなし、人間と人間の繋がりによって、ビデオゲームを土足で踏み躙っていた。社交的な奴らは人との繋がりを利用して、戦略的なプレイングをし、個別のプレイヤーを蹂躙していた。ゲームが上手い奴はゲームが上手い奴と結びつき、強靱な絆によって、ゲームが下手な奴を糞味噌に叩き潰していた。




敵だけではなかった。
味方だってそうだった。

僕は度々、四人組みのフレンドとチームを組まされた。

人間と人間との関係性で強く結ばれた彼らは、少しでも気に入らない事があったり、少しでも都合が悪い事が起こったりすると、ソーシャルの外側に居る人間に責任を押しつけ、人のせいにして、罵った。ソーシャルの外側に居る人間を攻撃することは、彼らにとって最も自然で最も平穏なコミニケーションの方法だった。何かを憎み、何かを軽蔑し、何かに責任を押しつける。ゲーマーと呼ばれる人達が、現実世界で行ってきた事を、彼らはゲームの世界に持ち込んだ。ソーシャルという暴力で、ゲームという聖域を踏み躙った。ソーシャルな欲望でゲームの純血を汚した。


人が人として、人と繋がる。

そんな糞くだらないゴミみたいな世界は、ツイッターやフェイスブックだけで十分だ。インターネットだけで十分だ。ビデオゲームはそうではなかった。dota allstarsはそうではなかった。そんな世界ではなかった。だから僕等はdota allstarsをプレイした。し続けた。人間である事を中止し、電子信号になる為だけに、dota allstarsをプレイした。そこにはゲームとしての面白さなど意味は無かった。面白いとか、面白くないとか、そういった事は関係無かった。そんな話では無かったのだ。ただdota allstarsがdota allstarsであればよかった。そして、dota allstarsは本物のdota allstarsだった。本物のビデオゲームだった。人間の存在しない完璧なインターネットだった。完全な世界だった。パーフェクトなワールドだった。だからこそ、僕らは一粒の涙も長さずに、dota allstarsをプレイし続けた。全ての感覚を消し去って、電子信号になりきった。

人間である事を止められる世界。
人として生きる事を中断出来る世界。
1人の人間も存在しない世界。
それがdota allstarsだった。

けれども、dota2は違った。

dota2は、mixiだった。
dota2は、ツイッターだった。
dota2は、フェイスブックだった。
ただのソーシャルネットワークだった。

ビデオゲームは利用される。
ソーシャルネットワークの為に利用される。

人間関係が「人間関係である」という事実だけでは人を集められなくなった時代が訪れた。現金に貪欲な糞野郎どもは、ビデオゲームに目を付けた。人間関係という地獄の鋼の強靱な鎖で、人を繋ぎ止める為に、彼らに現金をもたらすユーザーを繋ぎ止める為に、ビデオゲームに目を付けたのだ。そしてとあるビデオゲームを完全にコピーして、ソーシャルゲームに造り替えた。それが、dota2だ。ゲームとは名ばかりの、ソーシャルゲーム。それが、dota2だ。その世界で価値あるものは、人間関係だけだった。

人間関係により強さが決まり、人間関係により上手さが決まった。誰との繋がりを持たない僕達は、殺されるだけの存在だった。僕が生きられるスペースは微塵もなかった。僕の居場所はどこにも無かった。コミニケーション能力に長けた奴らは、強い奴らと結びつき、インスタントに手軽な強さを手に入れた。強い奴はソーシャルを利用し強い奴らと結びつき、さらなる強さを手に入れた。ビデオゲームは殺された。ソーシャルによって殺害された。ビデオゲームは死んでしまった。人間と、人間だけが生き残った。この世は地獄だ。地獄でしかない。

valveが目指したのは、ビデオゲームではなかった。
valveが作ろうとしたものは、ソーシャルネットワークだった。

ソーシャルネットワークは金になる。
ビデオゲームは金にならない。

それだけの理由で、ビデオゲームは殺害されたのだ。
たったそれだけの理由で、ビデオゲームは殺されたのだ。

世の中は、金だ。
金が全てだ。


金さえあれば、好きな人に会いに行く事だって出来ただろう。金さえあれば、好きな人を助ける事だって出来るだろう。金さえあれば、生まれた時点で無理矢理に押しつけられた人間関係から、離脱する事も出来ただろう。けれども、僕には金が無かった。最も必要だった時に金が無かった。1円の現金もなかった。だから僕はdota allstarsの世界に逃げ込んだのだ。自ら望んで人間である事をやめたのだ。電子信号として生まれ変わったのだ。ビデオゲームの世界を生きる、ただの敵キャラになったのだ。その聖域は、その世界は、金のために汚された。もはや完全に、失われた。

人と人との絆が、人間と人間の繋がりが、全てのインターネットを埋め尽くした。世界は人で溢れ、それ以上に人と人との繋がりで溢れた。目には見えない無数の鎖が、ソーシャルによって可視化され、僕等の行く手を遮った。それどころか、僕等の首を締め付けた。ここは地獄だ。インターネットは地獄だ。人間しか居ない。人間しか居ない。

ゲームを返してくれ。
僕にゲームを返してくれ。

ゲームが好きだったんだ。ゲームだけが好きだったんだ。人間なんて、いらない。人間関係なんて、いらない。そんなものは、はじめから、必要としていない。ただゲームだけがあれば良かったんだ。ゲーム無しには生きてはいけない。僕1人では生きてはいけない。dota allstarsを返してくれ。dota allstarsから出て行ってくれ。dota2なんか、僕等は一度も望んじゃあいない。dota allstarsをコピーして、それにソーシャルを付け加え、これがdota2です、なんて言われても、どうすればいいかわからない。死刑宣告にしか聞こえない。ソーシャルなんていらないんだ。人間なんていらないんだ。その為のゲームなんだ。その為のビデオゲームなんだ。ソーシャルの醜い血と肉で、ソーシャルの臭い視線と息で、ビデオゲームを汚さないでくれ。お願いだから出て行ってくれ。ビデオゲームを返してくれ。



ソーシャル死ね。ソーシャルゲーム死ね。ゲームを返せ。ゲームから出てけ。 - 真性引き篭もり

※ネット掲示板より引用



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俺だってソーシャルゲームなんか作りたくねーよ!

>ソーシャル死ね。ソーシャルゲーム死ね。ゲームを返せ。ゲームから出てけ。

>http://sinseihikikomori.blogspot.jp/2012/03/blog-post_23.html

を読んでたらムカついてきたので、ゲームメーカーでソーシャルゲームをつくってる俺に愚痴を言わせてもらおう。俺だってソーシャルゲーム(特にカードゲーム)なんかつくりたくねーよ! クリエイティビティのかけらもないものを誰が喜んでつくるかよ。

儲かるから仕方なくつくってんだよ、それくらい分かれよ! いや、分からなくてもいいから、だったらちゃんとゲームソフトにお金払えよ! DSの5000円未満のソフトばっかり買ってないで、SFC時代みたいに定価13000円くらいで出しても買えよ! 中古じゃねーぞ! マジコン使ってるやつは死んでくれ! お前らが続編の大作以外にまったくお金を落とさないから、大手以外はみんな瀕死なんだよ!

お前らが1本あたり今の2倍、いや1.5倍でも出して同じくらい買えば、ゲームメーカーは喜んでゲームソフトを開発するよ。ブログやSNSでオススメとかしなくていいから、評価サイトに投票もしなくていいから、その時間バイトか残業して金稼いで、ゲームソフトにお金を使ってくれ。資本主義だから、お金を出す以外に投票する手段はないんだよ。

カプコンはモンハンを定価3万円で売るべき

それから特に大手のゲームメーカーに言いたい、お前ら大作を安売りしすぎ!特にカプコン、お前だ、お前。モンハンを4800円とか5800円とかマジでふざけんな。ただでさえモンハンを何百時間もやるやつが続出して、他のゲームを買う意欲が削られてるのに、そんなダンピングやられたら、他のソフトが売れるわけねーだろ。

海外の大手メーカーとかはもっとふざけてて、予算100億とかかけたゲームを8000円とか、他のゲームメーカーを殺すつもりだとしか思えない。まあ国内では全然売れないからあまり関係ないんだけど。それでEAとか赤字続きなんだから笑っちゃうよな。

ソーシャルゲーム儲かりすぎワロタ

で、俺が仕方なくやってるカードゲームだが、儲かりすぎて笑いが止まらん。役員からの評価はうなぎのぼりで、ボーナスおいしいです。上に書いたように俺は全くやる気がなかったので、オリジナリティをだそうだとか、システムを工夫しようとか全く思わず、とあるカードゲームのシステムを丸々パクって、イラストだけ変えるようにしたのだが、どうもそれが良かったらしい。

まあ儲かってるといっても、月商1億行ってないので、GREEやモバゲーからしたらゴミみたいな売上かもしれないが、中小企業にとっては、例えば粗利益3000万/月とか超デカイ。半年キープできれば2億だからね。DSのソフトで粗利益2億円出すのがどれだけ大変か!

その結果、家庭用ゲームソフトのプロジェクトから完全に外されてソーシャルゲーム専任になりました\(^o^)/ 社長死んでくれ、マジで。


俺だってソーシャルゲームなんか作りたくねーよ!

※ネット掲示板より引用



ネットユーザー達の声



わらたw



>お前らが1本あたり今の2倍、いや1.5倍でも出して同じくらい買えば、ゲームメーカーは喜んでゲームソフトを開発するよ。
>ブログやSNSでオススメとかしなくていいから、評価サイトに投票もしなくていいから、その時間バイトか残業して金稼いで、ゲームソフトにお金を使ってくれ

チカ君は耳が痛いだろうけどこれ正論だね、現状ソーシャルに流れるのも致し方ない


何本も買って遊ばないユーザーよりちゃんと遊ぶ割れ厨の方が好まれるって大先生が言ってたんだけど


割れで漫画とパッケージゲームソフトが壊滅した韓国みたいになったら一巻の終りなのに・・・


投稿者 ハクアゲム (話題担当) 

- 9 Comments

名無しさん  

課金やらなければいいよw
糞だからそろそろ引退しなさいよw

2012/03/26 (Mon) 12:06 | EDIT | REPLY |   

名無しさん  

最初のビデオゲームのくだり気持ち悪いなw
どんだけコミュ障野郎なんだよw
ソーシャルなくなってほしいのは分かるけど。

2012/03/26 (Mon) 15:00 | EDIT | REPLY |   

Preuzehn  

なら作らなきゃいいじゃん。

2012/03/26 (Mon) 17:30 | EDIT | REPLY |   

名無しさん  

長い
三行で頼む

2012/03/26 (Mon) 18:22 | EDIT | REPLY |   

にいく  

>>4

ソーシャルゲームは売れる
でも作りたくない
会社の命令

以上

2012/03/26 (Mon) 19:32 | EDIT | REPLY |   

名無しさん  

ソーシャルゲームは女性ならわかる気がするけど
男がハマッてるとマジで引く。

2012/03/26 (Mon) 19:45 | EDIT | REPLY |   

名無しさん  

フリゲ漁るか自分で作れ
メーカーは営利企業だから仕方あるまい

2012/03/26 (Mon) 22:40 | EDIT | REPLY |   

名無しさん  

ゲームソフトを新品で売ってるところがもはや少ないんだよね。

2012/03/27 (Tue) 00:12 | EDIT | REPLY |   

Areninirm  

プライバシーの目的のために呼ばれることは言うまでもありません非常に切望されてきた。 ナイキはおそらくアスレチックトレーナーからより人気のラベルです。 彼らはすでにいくつかの目的のために開発した靴はもちろんのこと卸売ジュエリーhttp://www.dfbytz.com/ wet seal 表参道傷開いて仕事をしながらhttp://www.xyhk56.com/ ウェットシール 通販木曜日にホムスの繁華街のhttp://www.chhui56.com/ ウェットシール シャツラbsquedaデlugares queのロスvendenメノスPOR queのelのPRECIOベンタ·デ·アルpblico SER UNA tarea difcil Y requiereムーチョティエンポ。 ESTOエルなるHechoデqueのactualmente ES temporadaアルタ·デ·ベンタ·デ·arranque Y LA dificultadデラtarea SE合併症をAdase。 Siはtiene queのtener国連パーデボタスUGG専用エステするMomentohttp://www.jiedatx.com/ wet seal swim コー??ビーはバスケットボールトータル新しい領域にバスケットボールを導く、戦いの芸術のようなものになり、NBAの傑出したバスケットボール選手であるhttp://www.paisu173.com/ ウェットシール ポロシャツ

2013/07/12 (Fri) 13:23 | EDIT | REPLY |   

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